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建築と都市、そこでの生活にまつわるあれこれ

”みんな”のための建築の危うさ(1)

日本の公共建築の設計業務はプロポーザルという形式で提案書を建築設計事務所各社から募り、その中からもっとも主催者の目的にかなったものが選ばれるという手順を踏みます。

 

一般的に、日本の民間のオフィスや商業施設を計画するの場合、クライアントがまとめた「仕様書」がその建物をデザインする上での前提としてあります。

それは、クライアントのプロジェクト戦略の中でのこの建物をどこに位置づけ、どう機能機能させようとしているのか、を記したものです。

 

われわれ建築家はその仕様書からそのプロジェクトがどこに向かっていくのか、ゴールはどこかを把握し設計に取りかかります。

いってみれば、仕様書は地図のようなものです。その地図を見ながら、道順(言ってみれば、乗り越えるべき法規や予算の配分)とどんな乗り物(どんなデザイン)でそこにたどり着くのかを考え、それを実行すればよいわけです。

 

だけど、公共建築の場合、この「戦略」がふわっとしてるものが多い。

たぶん、民間のプロジェクトが達成すべき明確な目標(例えば、2015年までにこの建築で500億円を稼ぐ、とか)を持っているのに対し、公共のプロジェクトの場合には明確な目標がないからなのかもしれない、と思う。掲げられるお題目は、”みんなのための”、”まちのための”という漠然としたものばかり。みんな(まち)のために何をしなければならないのかが漠然としている。

 

地図に例えると、白地図

もちろん、建物を建てるにあたってのささやかな仕様書は存在するけれど、細かいことはそちらで決めてちょうだいよ。ってかんじ(もちろん打ち合わせをして決めていくのだけれど。)

だからそういったコンペに勝ちやすいのは、下記のようなことをお題目とした提案になるわけです。

 

・地場産材の活用

・ローコストな建築

・環境(建設時・運用時の低炭素化)に配慮した建築

自然エネルギーを活用しランニングコストを低減した建築

・地域の歴史に配慮した構成の建築

 

いわゆる”みんな”にとってわかりやすい、耳当たりの良い建築。

だってその土地固有の問題がプロポーザル時の提案書に盛り込まれていることがほとんどないから、そのプロポーザルに参加する設計事務所は”みんな”が納得できる一般的な提案をするしかないわけです。

 

こうして選ばれた設計案はその後、市やまちとの打ち合わせの中で多くの問題に直面することになります。その時になってはじめて、市の人からのいろいろな要望が噴出するからです。それらは”みんな”の問題ではなくて、それこそ個々人、各団体にとっての固有の問題です。そこにきて初めて、設計者は”みんな”のための建築なんて幻想であることに気付くのです。