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建築と都市、そこでの生活にまつわるあれこれ

フラット化する日本の建築階級、「漂うモダニズム」

槙文彦さんの「漂うモダニズム」を読みました。

 

漂うモダニズム

漂うモダニズム

 

 

「あー、そうそう、そうだよねー。」と共感する部分がたくさんありました。

 で、はた、と思ったんですよね。

 

ハーバード出身で、アメリカでの活動経験が長く、世界中に建築を作り続け、プリツカー賞受賞者でもある86歳の槙さん。日本建築界のエリート中のエリートである彼の問題意識や悩みを、建築設計事務所の下っ端として働く、だいぶ年下の私が共有できるっていうのは結構すごいことなんじゃないかって。

 

みんなそうだと思うんだけど、建築学生だったときって、建築家と呼ばれる人たちの本をいろいろ読みますよね。で、「ふーん。そうなんだねー。」って感じで頭では理解した気になるんだけど、腹に落ちて理解できるってことはなかなか無いと思うんだよね。特に建築家の書く本なんていうのは、実際に汗水流して身体を動かして建築をつくっている中で直面する問題について書かれている事が多いし、そういうのは実際に同じ問題に直面した人にしか本当には理解できないんじゃないかと思う。

 

ちょっと昔、90年代は都市開発レベルの仕事をしたりだとか、海外に建築をつくったりだとかするのは限られた一部の設計事務所だけだった。ある程度の規模(2000平米とか?)の建物を設計する機会も限られていた。バブル期にさんざん建築を作ったあげく、これが「箱物行政」なんて呼ばれて公共建築への批判が噴出し、建築家がある程度の規模の公共建築をつくる機会がなくなっちゃったからね。

だから、そういう時期にも世界各地で建築を作っていた槙さんが直面している問題に共感できる人は少なかったに違いない。

 

1990年代後半から2000年代の前半、アトリエ・ワンさんがすごく人気が出た時があったよね。彼らは「メイドイントーキョー」とか、「ペットアーキテクチャー」とか「ミニハウス」とか、都市の中の小さな建物に注目して書籍をつくったりとか、建物を建てたりとか、言葉を発したりとかしていた。

今思い返してみれば、その時の状況っていうのはそういう小さな建物に対してしか共感できない人がものすごく多かったっていうことなんだろうと思う。裏を返せば、この1990年代〜2010年頃(失われた20年だね。)まではそういう小さな問題しか皆が共有できない時代だったのかなって。

 

今は違うよね。

アジア各国の経済成長に乗って、多くの建築事務所は(おそらく若い事務所でもそうだろうと思う)日本国内だけでなく、世界各地にプロジェクトを抱えてる。例えば経済成長中のアジア各国でのプロジェクトは規模の大きいものが多いでしょう。

そういうプロジェクトを通して、老いも若きもみんな槙さんと同じように、市場主義の世の中で建築を作るってのはどういうことなんだろう、とか、日本との施工技術の違いをどうやって解決して建物のクオリティを保ったらいいんだろう、とか、経済成長を続ける新興国と比べて日本の都市はどうなんだろう、とかいう問題に直面する。

実はそれは日本の帝国主義の時代や高度成長期に建築家の直面した問題にも通じるところがあるんじゃないかな。例えば丹下さんやメタボリズムの人たちが直面した問題に。

 

時代の変化っておもしろいね。