アイコニックな建築による都市デザインの終焉?
この間、DezeenでH&deのチェルシーのスタジアムデザインをみつけました。
建築的にも、都市デザイン的にも、とても良く出来たデザインだと思います。
私は好きです。
かつてFrank. O. Gehryのビルバオが都市への観光客を呼び込みに成功し、都市の魅力を高めて都市を潤すための建築デザインはかくあるべし、とお手本のようにみなされていた(つまりアイコニックな建築は都市の起爆剤となって観光客の増加に寄与するので都市デザインにこの方法を取り込むべし、とされた)。けれど、そうやって一時的に観光客数を増やした都市は20年が経とうとする今でも果たして魅力的な都市としてあるでしょうか?
H&deのChelseaスタジアムは上記のようなアイコニックな建築による都市デザインのカウンターパートとして見ることが可能です。
その土地にある既存のデザインソース(この場合レンガとスチール格子)を利用することで、この都市にレンガの総量が増えます。今回はスタジアムという巨大な施設なので大量に。この「大量のレンガ」は都市全体の視覚的なアイデンティティを強める。
「大量のレンガ」が他所との差別化につながってその都市を特別な都市にする。観光客が増えて都市が潤う。アイコニックな建築はそれのみでデザインが完結してしまうけど(しかも賞味期限が短い)、既存のリソースを利用したデザインは都市の歴史に連なって、その都市を成長させることができます。そしてそのデザインは「開かれて」いる(それだけで完結していない)ので、未来に他の人が新しいデザインを接続することも可能です。
現在の国際的な都市間競争の中で、建築はもはやそれ単体のデザインとしてはそれほど意味がなく、都市の魅力を高めるためのひとつのパーツとしてデザインされたほうが、費用対効果が高いんです。その建築が得るリターンも大きくなる。
私は日本の国立競技場もザハのデザインでなくてよかったと思います。お金云々もあるけど、ザハのデザインをあの場所に作るのは時代遅れの都市デザインだと思うから。
40代で若手ってなんなの、のつづき。新しいチームワークを考えてみる。
前回の続き。
ちなみに前回あげた建築家という職能に求められる技能の(1)〜(14)は建築設計事務所が成長する過程で順番に身につけていく。
<第一期>住宅をつくっている時期:
個人に対しての建築は(1)〜(6)までの技能があればなんとかなる。
<第二期>小さな公共の建物をつくりはじめた時期:
とたんに(8)、(9)が必要になる。つくられる建築の承認を求める相手が「あなた」から「みんな」に飛躍的に増えるからだ。「みんな」の合意を取り付け、提案する建築を建てることへの承認を受けるには効果的なプレゼンテーションと適切な合意形成の技術が必須だ。
<第三期>大きな公共の建物をつくりはじめた時期
規模が大きくなると、よりいっそう求められる技能は増える。
まず、巨大な建築はそれが作られる都市・街が持っている文化に与える影響が大きいから、それを検証しなければならない。検証のために都市計画の知識やまちづくりに関する知識が必要だ。もちろん、その地域の文化に対する造詣も。
同様に巨大な建築はその地域環境に与える影響も大きい。その建築がどの程度サスティナブルなのかを検証しなければならない。(自然エネルギーを効果的に使っているとか、エネルギーのリサイクルをしているとか。)
それから、大きい建築はそれを建てるのに莫大な金と時間がかかるが、通常クライアントはそれを可能な限り圧縮することを望む。現在はIT技術の進歩のおかげで、それを大幅に圧縮することが可能なので、これを実践することを求められることも少なくない。今はやっているのはBIMと呼ばれる図面の作成方法だ。図面をすべて3Dモデルで作成し、かつ、その3Dモデルを意匠・構造・設備・積算・施工で同時に共有しようというもので、この技術によって図面作成(設計・施工時とも)の時間と積算の手間が大幅に省ける。このアプリケーションを習得するのも結構大変だ。
これまで、こういった多様な技術・知識を各建築設計事務所は個々の事務所で身につけようとしてきた。
だけど、こうした技能を身につけるには時間と人手がかかる。(ひとりの人間がこうした多様な技能を完璧に習得するのは不可能だ。)だから成長過程の第三期に入った建築設計事務所は所員数も多くなる。
不運にも住宅しか仕事が無い事務所の場合は(1)〜(5)までの技術しか身につけられない。現在のところ、住宅を仕事にしている場合、一般的に(6)から先の技能は必要とされないからだ。けれど、よくよく考えれば住宅こそ、地域をかたちづくる重要なパーツだ。ここに(6)から先の技術を投入することによってこそ、今の社会に適した新しい地域環境が形作られるはずだ。
なにを言いたいのかというと、こうした技能をひとりの建築家、あるいはひとつの建築設計事務所にもとめるのはやめたらどうなのか、ということ。
(1)から(16)まですべてが得意な建築家や建築設計事務所は多くないはずだ。だから、もうちょっと個々に専門化した小さな組織が緩やかにつながり、プロジェクトごとに必要なチームが集まって、フレキシブルに仕事を進めていくような新しい建築設計チームのありかたはできないんだろうか。
studio Lのような事務所がうまくいっているのは、これまでこうした仕事は建築設計事務所や都市計画事務所に任されていたけれど、うまくやれていなかったからなのではないんだろうか。
その原因は建築設計事務所に求められる技能が増えすぎて、対処できなかったからではないのだろうか。
おもしろい未来をつくるためには、おもしろい組織づくりも必要なんだな、と最近よく考えます。
40代で若手ってなんなの
建築家は40代のおじさんおばさんでも若手と呼ばれる。
実際のところ、そう思う。
建築家が運営する設計事務所の成長過程を段階的にみていくと(これまでのところ昔から変わらず)以下のような感じだ。
まずは知り合いの小さな住宅をつくり(第一期)、そのうち運が良ければ小さな公共の仕事(1000m2程度の)を獲得し(第二期)、小さな公共の仕事をいくつかこなすことで実績を積み上げより大きな公共の仕事を得る(第三期)。
一般的にここまで達成できるのがだいたい40〜50歳くらいで、ここまでできたら建築家として一人前、みたいな意識が建築家業界にはある。
(ここで公共というのは、いわゆる役所の公共工事に限らず、多数の人々によって使用される建物のことをさしている。)
なぜ建築家と呼ばれる職業が一人前になるのにこんなに時間がかかるのかというと、この職能に求められる知識・技術が多いからなんだと思う。それらの知識・技術を習得していて、かつうまく使いこなせる事務所なんですね、とクライアントから認定され、仕事をつぎつぎと取れるようになるのに時間がかかるのだ。
そしてこれらの技能はますます多様化している。
ちょっと下にあげてみよう。
(1)、空間把握の技術
(2)、工法に関する知識
(3)、素材に関する知識
(4)、積算に関する知識
(5)、建築ディティールの知識
(6)、建築法規に関する知識
(7)、建築計画に関する知識
(8)、合意形成(PR)の技術
(9)、プレゼンテーションの技術
(10)、都市計画の知識
(11)、まちづくりの知識
(12)、サスティナビリティに関する知識
(13)、3Dデザインに関する知識
(14)、BIMに関する知識
しかもIT技術の発展によって、生産プロセスに大きな変化が起こっている今日では、求められる技術はますます増え、複雑化していくと思う。
そうなったら建築家が建築設計事務所を一からつくって一人前にするにはもっと時間がかかる。60代で若手とか。。
それはなんだかなあ。
ほとんど未来のないおじいさんより、未来を担う30代40代がつくる方がこれからの未来に適した建築をつくれる可能性も高いんじゃないか。(おじいさんの作る建築を全面的に否定している訳ではない。)
もしくは建築設計事務所はなくなって、ゼネコンとか組織設計事務所とかみたいに長い年月知識・技能を社内に蓄積してきた会社にしか建築はつくれないことになるのではないか。
それもなんだかなあ。
だって、私は時代のイメージを変えるような建築は建築家と呼ばれる人の事務所がつくってきたと思っているし。
じゃあ、どんな方法があるのか考えてみるのが次の話。
日本の住宅(3)
日本の住宅(1)と日本の住宅(2)でざっと戦後からの住宅建設システムの変遷をみてきたのだけど、どれもなんだか時代遅れになってしまったように思える。
- ハウスメーカーの住宅は30年程度でみんな壊しているということは、どこかでライフスタイルに合わなくなってしまったか、老朽化してしまう。
- 集合住宅は空間・設備システムのフレキシビリティーがない。
- コーポラティブハウスは設計段階での住民同士のコミュニケーションで疲弊してしまいそうだ。(人は自分の投資した金額で得られる空間を最大化したいと思うはず。住民同士の軋轢を生まずに個々の住戸の適正金額を決めることができるのだろうか。)
- スケルトン・インフィルは惜しいところまでいった。この変種として現在のリノベーションブームはあるのではないかと思う。
いったいどんな建築とシステムがわれわれに必要なんだろうか。どんな住空間を私たちは豊かな住空間と呼ぶのか?
ちょっと考えてみよう。
まず、豊かな住空間とは、ライフスタイルにフィットしていて、最新のテクノロジーの恩恵を受けている住空間だと定義しよう。
けど「ライフスタイル」と「最新テクノロジー(住宅設備)」は時間の流れとともに大きく変化する。
1、ライフスタイルは5〜10年ごとに変化する。
例えば、独身→結婚後、子なし→子ども、幼児→子ども、思春期→子ども独立(残される高齢者)
その時々で必要な空間は異なる。
2、最新テクノロジー(住宅設備)は5年〜10年で次々新しいシステムが考案される。
床暖房とか絶対高齢者に必要な設備だと思うんだけど、高齢者の住んでいるのは彼らが若い頃に建てた家だからこういう設備ないんだよね。たまにお風呂も古いダイヤル式のだったりするよね。。あと、昔オール電化住宅(集合住宅もあったな)とかはやったけど、電気料金が値上げされ続けている昨今どうしているんだろうね。
だから、どんな建築が必要かっていう問いへ第一の回答は、
ライフスタイルやテクノロジーの変化の中で変わるから、いろいろな建築が必要だ、になっちゃう。
だから、5〜10年ごとに住み替えて、その時々で必要な建築を手に入れる、だよね。
実際にしている人も多い。
けどこれ、結構お金かかってると思う。
賃貸マンションの場合、設備がきちんとしているのって少ないし、あっても賃料高い。それから内装を変えていい賃貸マンションて少ない。
分譲マンションの場合、次々住み替えていくにしてもお金かかる。
実は、こういうライフスタイルに適していて、かつ市場に流通している住宅のストックが現在のところ都市にほとんどないのではないかな。
第二の回答は、
できるだけフレキシブルにリノベーションできる建築。
これをリノベーションし続けることで、ライフスタイルやテクノロジーの変化に対応できる。面積の拡張はできないけど、設備の更新や間取りの更新はできる。
けどリノベーションは敷居が高いと感じている人も多い。分譲マンションとか買うと仲介業者がリノベーションも請け負ってたりするよね。その金額がべらぼうに高かったりする。工務店や建築家に頼む方が自由度もあるし安かったりするけど、面倒って人も多い。アクセスしずらいんだと思う。わかりやすいところに店舗があるわけでもないし、広告とかしないし。
だからわれわれ(建築業界の人間)がこれから、私たち日本に住む人が豊かな生活空間を手に入れるために取り組まなければならないのは各業者(設計者・工務店・建具屋さん・大工さん・建材屋さん等)に一般の人がたやすくアクセスできるインフラをつくること。
houzzとか頭いいよね。iemo[イエモ]はhouzzをめざして作ってるらしいけどちょっと方向性を間違えている気がする。
それから、工事費をぐぐっと安くすること。これは上記のインフラが整備されればいままで仲介業者に払っていたお金がカットされるんじゃないかな。
日本の住宅(2)
続いて
ストックとしての住宅研究時代
日本の住宅(1)で書いたような住宅が都市を形作りはじめると、その構造的・設備的・デザイン的な貧しさが問題になりはじめる。
そこで住宅建設業界はさまざまな実験をはじめた。
1、スケルトン・インフィル
スケルトン(躯体)のままの住宅を貸し出し、入居者が独自にインフィル(内装)を作って住むという提案。
店舗やオフィスなんかはずっとこの方式だけど住宅ではなかなかなかったんだよね。
けど、入居者にはめんどくさく、ディベロッパー的には金銭的なうまみがなかったらしい。結局このシステムは純粋なまま発展せず、分譲マンションの売り出し方の一形態として取り入れられていった。
・設計変更可能分譲マンション:
ディベロッパーは標準仕様を決めておき、変更に際して追加料金を徴収できるので、うまみがある。
・分譲マンションのリノベーション:
特に古いマンションや住宅を一度躯体に戻して内装をつくる。住民は中古マンションを安く買えて、内装を新しく自分の思い通りにつくれるのでうまみがある。
出来上がった分譲マンションを買うのではなく、はじめに入居者が組合を結成し、その入居者全員で設計者を手配し、建物の設計を承認し、工事業者に発注するという方式。
住民が一貫して建設に携わることで質の良い建物ができるんですよ、というものだ。
プロセスを書いているだけでめちゃめんどくさそうだけど、実際にはプロデュース会社が組合のマネージャーとなって事業を遂行するケースが多いみたい。
けど、やっぱりめんどくさそうだよね。。なので、日本ではあまりシェアは伸びていない。
こんなかんじで、いろいろ試みるもどの実験も当初の目論みどおりにいっているわけではないようだ。
日本の住宅(1)
日本の住宅を取り巻く環境について考えてみた。
まずは戦中・戦後の住宅大量供給時代
1、戸建て住宅
戦後ハウスメーカーが続々と創立し、大量生産システムを確立したこれらハウスメーカーが住宅建設シェアを拡大していった。
ハウスメーカーのシェアが拡大するにつれ、これらハウスメーカーが自社製品のためにローメンテナンス・ローコストの外壁、屋根、内装材を開発した。これらはこれまで頻繁に必要だった住宅のメンテナンス頻度を著しく減少させるように宣伝されたため、地場の工務店や大工さんにも普及し、住宅に使用される一般材料となった。
結果、それまで使われていた地場の建材(木材や土、石、和紙など)は使われなくなり、大量生産された工業製品で覆われた似たような住宅が全国で建てられ、均質な町並みが作り出されていった。
当時これら大量生産住宅は長期的に財産になりうると宣伝されたが、(例えば昔は三世代、100年住宅ローンなどというものがあった。)ふたを開けてみれば平均30年程度で取り壊されているという。
2、集合住宅
一方で、住宅メーカーが創立されたのと同じ頃、住宅の大量供給を主眼として集合住宅の開発も進んでいた。戦後には食寝分離に応えた2DKを擁した集合住宅が当時最先端の住居形式として話題になる。
しかし、その後の経済成長やライフスタイルの変化によって、当時建てられた集合住宅は使い勝手の悪いものとなり果てている。
例えば
・構成単位であった住戸面積は狭すぎる。(例えば51c型で35m2)
・エレベーターのない5F建集合住宅は敬遠される。(高齢者や幼児、ベビーにはきつい)
・設備は老朽化し不具合が出る。
建築を大量生産すること
いままでは、地域固有のマテリアルの扱いや施工方法、習慣に精通した地元の建築家がその土地の建築をつくってきた。
けれど、様々なマテリアルの強度が分析されるようになり、施工方法が世界でゆるく一般化され、各国の習慣が情報として流通するようになった今日、これまた雑誌やインターネットの記事によって世界に知られるようになった世界的(!)建築家のもとに集中して世界中からあらゆるプロジェクトがまいこむようになった。
近代までとは異なるこの状況に、成功している建築家たちはどのように対応しているのだろうか。
1、量とスピードの問題への対応
あるひとりの人間の感性から始まった建築事務所に、ひとりでは到底手に負えない量の仕事が舞い込んできたとき(しかも現代ではその多くは信じられないくらい短期間での建設を望まれる。)、建築家は彼の創作方法を劇的に変更する必要に迫られる。
つまり、その建築家は自らの感性を外部化、言ってみればシステムに落とし込む必要に迫られるということだ。そのシステムを使って彼以外の人間が「彼の」建築をつくれるように。
まずは事務所のスタッフを増やす。
ある程度の人数までならばボスから始まるピラミッド的な組織の中で建物を作ることが可能だろう。(私の感覚ではだいたい50人くらいまでかな。)
そこからもっと人数が増えていくと、ピラミッド型の組織ではボスのコミュニケーションコストが膨大になり、意思決定のシステムとして成り立たない。そこでデザインのクオリティを維持できる事務所と、維持できない事務所が出てくる。
2、ローカル化の問題への対応
世界中で建築を建てるとなると、地域固有のマテリアルの扱いや施工方法、習慣に合わせて建築をつくる必要がある。ここでもデザインのクオリティを維持できる事務所と、維持できない事務所が出てくる。
多様な状況下でのクオリティの維持。
それを決めるのは、実はその建築家のデザインのあり方そのものだ。
例えば、ザハの事務所の所員数は400人を超える。大所帯で、スピーディーに、世界中でザハの建物を建て続けていけるのは、ザハのデザインが「わかりやすい」つまり、「共有しやすい」流線型の特徴的な形を持っているからだと思う。
そのデザインのあり方が一種のルールとして、世界中に伝播していくのだ。
そのデザインルールはちょっとくらいの異物(現地のマテリアルとか、法規とか、施工精度とか)が入っても問題ないくらい骨太であることも重要だ。ローカライズできないデザインは致命傷だ。
近代の建築家は鉛筆を持ってノートにスケッチする人。建築家の事務所にはボスがいて、そのボスのスケッチをもとに図面や模型を作製するアシスタント的な人間が数人いるというのが一般的だったろう。設計される建物の美的判断はほとんどすべてをそのボスが決定していただろう。
現代の建築家は、デザインルールをつくり、それを世界中の多種多様な人々に伝える人。そのルールはシンプルでわかりやすく、共有しやすく、民主的だ。
アレキサンダーのパタンランゲージの現代版が今、世界中で展開しているのかもしれない。アレキサンダーは部分の設計から全体を構成しようとしたけれど、現代の建築家は多様な部分の設計を許容する、骨太な枠組みを提供するのだ。
はだかんぼうにっきについて
昔々、建築はその土地の自然を利用して作られました。
縄文時代には草木を使った竪穴式住居が、時を経て中世のイタリアではその土地でたくさん採掘することができたトラバーチンで現代にも残る数多くの名作建築が、その頃の日本では木を効率的に利用するために生み出された木組みによる名作建築が作られました。
建築はその土地の自然と結びついた形をしています。
自然と建築が結びついて、人が暮らすことのできる環境が作り出されます。世界各地に個性を持った環境がたくさん作り出され、それぞれの環境に育まれた個性を持った人間達が、それぞれの環境の中で新しい活動を生み出します。
つまり、多様な環境が多様な個性を持った人間をつくるのです。
ある環境は別の環境に育った人にとっては驚くべきもので、その人の想像力を掻き立てます。例えばモロッコのベルベル人の住居は、映画「スターウォーズ」の舞台として使われる事で、また別の新しい世界を作り、私たちに提示してくれます。多様な環境で育った多様な人間が集まり、または互いにインスパイアされ、さらに新しい環境をつくっていく。そうしてできる未来はダイナミックでわくわくする楽しい未来だ、と私は思います。
フラット化する世界の中で、各地で建築の均質化がおこり、その土地に特有な建築の形が失われたり、保護対象物になったりするのを見ると悲しい気持ちになります。そうした建築は守られ、鑑賞され、昔を懐かしむためにあるのではありません。それは人間を生かし育むためにあるはずです。
建築は文化そのものです。建築デザインの仕事がグローバル化している今日、各地の建築デザイン現場でどんなことが起こっているのか、建築設計事務所で働くいちデザイナーとして考えてみたい。その上で世界の多様性を損なわないグローバルな建築デザインのあり方があるのかどうか考えてみたい。
そう思って、このブログをはじめることにしました。
建築デザインの世界戦略(1)ーレム・コールハースの場合
コールハースの世界戦略のキモは建築デザインをダイアグラムから組み上げることと、プロジェクトに対するブックレットを建築と同時にまとめることです。
彼らはクライアントから与えられた要求に対して、2つの手段で応えます。
(1)、ダイアグラムによって建築を定義する
(2)、ブックレットによって建築を定義する
(1)は主にOMAによって、(2)は主にAMOによって作られます。
まず、ダイアグラムについて。
彼らの戦略は本来、文化とか政治とかにぐちゃぐちゃにまみれている建築というものを、容積とサーキュレーションとファンクションのシンプルな構成でできた図式=ダイアグラムに還元するところからはじまります。それはシンプルでロジカルに組み立てられているのでみんなが理解しやすい。
彼らは与えられたプロジェクトに対して、旧来のダイアグラムはこんな感じだったけど、ここをこうすればより良い建物になる、と新しいダイアグラムを提示します。そしてその新しいダイアグラムをそのまま建築として立ち上げているようにふるまいます。
ダイアグラムという抽象的なものに建築を還元することで、建築はグローバルにもヒストリカルにもさまざまな建築と比較可能になります。
つまり、建築をダイアグラムというユニバーサルでシンプルな単位にまで還元し、そのダイアグラムの比較でもって、建築の「新しさ」、「使いやすさ」を説明可能にしたことが、彼らの世界戦略の第一のキモだと思います。
ただし、
そうは言っても、やっぱり建築には文化とか、経済とか、政治とかいろいろまとわりついてきちゃうわけです。きっとクライアントからもそれらに対する回答を求められることでしょう。
そこで彼らは、さらにそのダイアグラムの正当性を裏付けるために、ブックレットとしてリサーチ資料を提示します。それこそ、クライアントから求められる文化や政治に対しての回答書あるいは提案書です。これらの提案書では、その建築が作られる国の政治的背景や、経済的な立ち位置、歴史などをAMO的視点で解読しています。これが第二のキモですね。
OMA/AMOはこの2段階の提案によって、世界中のクライアントに彼らの提案する建築がグローバルな課題に答え、かつ、ローカルな課題にも答えていると説得してるんですね。
さすがですねえ。
CGパースから考える
以前中国の物件を担当していたときに、中国人のクライアントから「あなたたちが出してくるイメージパースは良くないので、中国の会社にイメージパースをつくらせたほうがよい。」とアドバイスされたことがありました。
中国のCG会社のHPなどに掲載されている参考パースは、強い光が建物に当たっていて、コントラストが強く、ガラスは光を反射してぎらっと輝き、空は黄砂が舞っているようになんだか黄色く霞んでいる、みたいなものが多いですよね。日頃我々がよかれと思っているイメージパースの美的基準からしてみると「なんだかちょっと違う。。」って思っちゃって、結局、必要なイメージパースのうち、半分は日本で、もう半分は中国の会社にお願いしました。
で、結局このプロジェクトは流れちゃったんですけど、その時「美的感覚って、国によってちがう。」というあたりまえなことをそれまですっかり忘れていたんだなあということに改めて気がつきました。
我々が、ちょっと違う、と思った表現の中にこそ、中国で暮らす人たちが日常感じている「雰囲気」みたいなものが表現されていたんですよね。われわれがやらなければいけなかったのは、その「雰囲気」を洗練させて彼らの前に提示する事だったんです。その手段として、その「雰囲気」を肌感覚で知っている中国のCG会社を使う事はとても大事な事だったんですね。
もちろん、プロジェクトによっては、場所の空気をがらりと変えるようなものが求められる事もあるのでこのケースばかりではありません。だけど、インターナショナルなプロジェクトというものは、チームを構成する人それぞれの個人的な背景をどうやって生かしていくのかが結構重要なんだということに気づきました。
どういう人々でチームを組んで、どの人にどんな仕事をしてもらうのか。これは国内の仕事ではほとんど気にならない問題です。だって、日本人はだいたいみんな同じような文化的背景の元に育っているから、プロジェクトで求められる「雰囲気」をみんなわかっているから。だけどわかっているからこそ、プロジェクトを進めていく中で変な政治、とか根回し、みたいなものが発生しちゃったりもするんですけどね。そういうところめんどくさいですよね。
インターナショナルなプロジェクトは、提示される物に対して、クライアントの「あり」「なし」の振れ幅が大きいんだと思うんです。クライアントの要求を理解して、かつ、それを表現できていれば「あり」。要求を理解していてもそれをきちんと表現できていなければ「なし」。だからクライアントがプロジェクトに何を求めているのかを正確に理解する事がまずは一番重要で、その次にプロジェクトを進めるチームをどうやって構成するかが重要なんだろうなって気がします。
アジアで日本人が建築デザインをするということ
昨今のアジアの建築市場の活況はみんなの知るところです。アジア各地で仕事をしている建築事務所のみなさんも多いのではないでしょうか。
このようにアジアに世界から資本が投下され建設熱が高まっている現在、日本人の建築デザイナーの役割はとても大きくなっています。この先5年くらいはアジアにおける建築プロジェクトにおいて、他の外国人よりも地理的なアドバンテージがあると考えます。
それは
(1)地理的に他のアジア各国に近い。
(2)文化的な背景を共有している。
(3)アジア各国の中で日本が先行して建築デザインの分野で世界的に認められている。
という3点からです。
順にブレイクダウンすると、、
(1)
中国/上海空港まで3時間(時差-1時間)、韓国/金浦空港まで2.5時間、ベトナム/ハノイまで5.5時間(時差-2時間)という東京から各アジアの都市までの所要時間です。欧州、米国からアジアへの航空時間に比べて圧倒的に近いですよね。
ネットによるコミュニケーションが発達している現代においても、場所に多くの制約を受ける建設業にとっては、現場に何度も脚を運ぶという作業が不可欠です。その点で、なんだったら日帰りでも行けちゃう近さは大きな魅力です。
(2)
例えば、中国との関係で言えば日本は遣隋使/遣唐使を派遣して、中国の文化を一生懸命学習していました。もちろんその際に中国の建築様式も一生懸命学び、日本に移植していったわけです。それは今日、洗練/土着化されて日本建築の中に息づいています。
他にもインドとの関係では仏教国というところで繋がっていたりします。
その他、外見が似ているというだけでも単純に親近感がわいたりだとか。身体のサイズが似通っているということは、必要とする空間サイズが似通っているということでもあります。例えば、椅子の座面の高さだとか。
(3)
例えば1970年代に丹下さんがアラブの国々で徴用されたのは主に政治的な問題からでしたが(西欧諸国の植民地であったアラブ諸国では西欧の建築家を起用するのを好まなかった。その点日本はそうした対立から無関係な立ち位置にいた。)、現在はアジアの新興国が世界市場に打って出るにあたって、自国のアイデンティティ、つまり「ウリ」を明確に打ち出す必要がある。それはもちろん建築においてもです。
そのようなプロジェクトに日本人が起用されるのは、日本人建築家が建築デザインの世界で他のアジアに先行して認められているからです。それは例えば、プリツカー賞を日本人が5人も受賞していることでも明白です。
アジアの新興国は日本人建築家を利用して、世界的に認知されるような自国の建築を構築しようとしているわけです。世界スタンダードの洗練されたデザイン手法で自国の風土/文化に形を与えるということが日本人建築家に求められていることです。ここで西欧の建築家が起用されないのは、(2)で説明したように、日本は他のアジア諸国と文化的な背景が似ているので、使いやすいからです。それから世界的に見ても日本の施工技術が優れているからという理由もあるでしょうね。
あともう一点、日本が他のアジア諸国がこれからたどろうとしている道をすでに70年前からたどってきた、そして成功してきたということがあげられるでしょう。
・「日本建築様式」に代表される戦時中の日本民族のための建築の理論の構築と実践
・敗戦後、タウトやグロピウスの手を借りながら日本伝統建築を近代建築に接続するための作業
日本の建築家達がこの70年の間に直面してきた以上のような課題に今後アジアの新興国も直面する事になるのでしょう。
フラット化する日本の建築階級、「漂うモダニズム」
槙文彦さんの「漂うモダニズム」を読みました。
「あー、そうそう、そうだよねー。」と共感する部分がたくさんありました。
で、はた、と思ったんですよね。
ハーバード出身で、アメリカでの活動経験が長く、世界中に建築を作り続け、プリツカー賞受賞者でもある86歳の槙さん。日本建築界のエリート中のエリートである彼の問題意識や悩みを、建築設計事務所の下っ端として働く、だいぶ年下の私が共有できるっていうのは結構すごいことなんじゃないかって。
みんなそうだと思うんだけど、建築学生だったときって、建築家と呼ばれる人たちの本をいろいろ読みますよね。で、「ふーん。そうなんだねー。」って感じで頭では理解した気になるんだけど、腹に落ちて理解できるってことはなかなか無いと思うんだよね。特に建築家の書く本なんていうのは、実際に汗水流して身体を動かして建築をつくっている中で直面する問題について書かれている事が多いし、そういうのは実際に同じ問題に直面した人にしか本当には理解できないんじゃないかと思う。
ちょっと昔、90年代は都市開発レベルの仕事をしたりだとか、海外に建築をつくったりだとかするのは限られた一部の設計事務所だけだった。ある程度の規模(2000平米とか?)の建物を設計する機会も限られていた。バブル期にさんざん建築を作ったあげく、これが「箱物行政」なんて呼ばれて公共建築への批判が噴出し、建築家がある程度の規模の公共建築をつくる機会がなくなっちゃったからね。
だから、そういう時期にも世界各地で建築を作っていた槙さんが直面している問題に共感できる人は少なかったに違いない。
1990年代後半から2000年代の前半、アトリエ・ワンさんがすごく人気が出た時があったよね。彼らは「メイドイントーキョー」とか、「ペットアーキテクチャー」とか「ミニハウス」とか、都市の中の小さな建物に注目して書籍をつくったりとか、建物を建てたりとか、言葉を発したりとかしていた。
今思い返してみれば、その時の状況っていうのはそういう小さな建物に対してしか共感できない人がものすごく多かったっていうことなんだろうと思う。裏を返せば、この1990年代〜2010年頃(失われた20年だね。)まではそういう小さな問題しか皆が共有できない時代だったのかなって。
今は違うよね。
アジア各国の経済成長に乗って、多くの建築事務所は(おそらく若い事務所でもそうだろうと思う)日本国内だけでなく、世界各地にプロジェクトを抱えてる。例えば経済成長中のアジア各国でのプロジェクトは規模の大きいものが多いでしょう。
そういうプロジェクトを通して、老いも若きもみんな槙さんと同じように、市場主義の世の中で建築を作るってのはどういうことなんだろう、とか、日本との施工技術の違いをどうやって解決して建物のクオリティを保ったらいいんだろう、とか、経済成長を続ける新興国と比べて日本の都市はどうなんだろう、とかいう問題に直面する。
実はそれは日本の帝国主義の時代や高度成長期に建築家の直面した問題にも通じるところがあるんじゃないかな。例えば丹下さんやメタボリズムの人たちが直面した問題に。
時代の変化っておもしろいね。
新興国での建築デザイン、3つのアプローチ
今回は中国、ドバイ、インドネシアなどの経済成長が著しい新興国で、外国人が建築デザインの仕事をすることについて考えてみたいと思います。
われわれ日本人もこうした新興国での仕事のオファーをたびたび受ける訳ですが、1回プレゼンしただけで音沙汰なかったり、何度もプレゼンするにもかかわらず、なかなかPreliminary Designが終わらなかったりする。そこには絶対なにかミスマッチがあるはずなのになかなかそれが見えてこない。そこをきちんと考えてみましょう、というのが今回のテーマです。
新興国でわれわれが遭遇する建築プロジェクトの目的には大きく分けて、
(A)先進国資本が新興国の国民の消費を期待するもの
(B)先進国/新興国資本が、その国の資源を使い、世界中の人々の消費を期待するもの
(C)新興国の成長企業が 自分たちの会社を世界でエスタブリッシュすることを期待するもの
の3つがあるように思います。
順に考えていくと、
(A)は消費者となりえる中産階級が、ものすごい人数でてきた新興国に対して、先進国資本が自国の資源を使った商品/サービスを売るためのプロジェクト。
このプロジェクトでは、いかに商品のアイデンティティを伝える建物を作れるかが重要な落としどころになります。
この場合建築デザインはそのメーカーが世界中で用いている、
規格化されたデザイン
が採用されることが多いように思います。アップルストアやLOUIS VUITTON等のラグジュアリーブランドのインテリアなんていい例ではないでしょうか。
(B)は消費者となりえる中産階級が、ものすごい人数でてきた新興国に対して、先進国資本が現地の資源を使った商品/サービスを売るためのプロジェクト。例えば、大自然を生かしたホテルプロジェクトやおいしい地元料理を提供するレストランのプロジェクトなどのことです。
こういうプロジェクトを進めるとき、事業者は現地の資源をそのままでは使いません。大自然や食べ物を加工し、世界の人々に受け入れやすいものにしようとします。現地でおこなわれているそのままの方法では現地の生っぽさがありすぎるからです。
例えば、海外資本のホテルは典型的です。一般的にホテルは
・外国から訪れる人
・国内から訪れる人
の2つの層をターゲットにします。
新興国に訪れる外国人の中にはビジネスが目的の人も観光が目的の人もいるわけですが、両者ともせっかく他国にきたのだからその国の文化を味わいたい。一方で、多少お金を払ってでも自国のホテルと同じようなグレードのサービスで、ストレスのないホテルライフを過ごしたいという欲求があります。(現地のサービスも含めて味わいたいという人ももちろんいて、そういう人々はこのホテルのターゲットからはずれます。)
一方で、国内から訪れる人は観光を目的にしていることが多いかもしれません。そのとき彼らは旅そのものに非日常的な体験を求めます。
この2つの層に対して、ホテルが出す回答は、「世界最高のサービスを提供する、その新興国の文化を踏襲したホテル」です。
例えば、FOUR SEASONSは各地にその国の建築文化を踏襲したホテルをつくっていますよね。で、そこで自社のマニュアルに基づいたサービスを提供しています。
この場合求められるのは、
地元文化に根ざしていて、かつ世界基準で質の高い建築デザイン
です。この建築デザインは先進国の建築家にゆだねられることが多いです。なぜかというと、現地ではまだ世界的に見ても質の高い建築デザイン、つまり、世界の人々に「うける」デザインを理解し、描ける建築家が新興国にはまだいなかったり、とても少数だったりするからです。だから私たち日本人に中国のホテルの案件が舞い込んできたりするわけですね。
けど、こうした状況もあと10年くらいで終わるでしょう。なぜなら、いままさに、これら新興国の若者が自国の経済成長によって手にしたお金でアメリカやイギリスに留学し、ワールドスタンダードな建築デザインを学びつつあるからです。
(C)は新興国で成長した地元企業が世界進出しようとする場合、もしくは、進行国内で展開する外資企業と張り合うために企画されるプロジェクトです。あ、あとは政府系のプロジェクトでも文化施設などはこれに分類されるものもありますね。この場合、自国の文化を他国の文化と張り合わせる感じでしょうか。
で、このとき採用されるのは、
とにかく目立ってみんなの視線を集められ、かつ、世界基準で質の高い建築デザイン
です。
例えばザハ・ハディドやフランク・O・ゲーリーの建築は、コンピュータを駆使した三次元的なデザインで有名ですよね。こうした建築は世界にアピールできるアイコニックなものであるというだけではありません。その三次元的なデザインを現実に作れるということが、その国の高い建築技術を証明することにもなりますよね。
例えば、ザハのGALAXY SOHOや広州オペラハウス、H&deの鳥の巣がここに分類されますね。それから、建築技術の証明といえば、超高層建築もそうですよね。ドバイに建てられた超高層のブルジュ・ハリーファもここに分類されますね。
というわけで、新興国での建築デザインの3つのアプローチについて考えてみました。
(A)も(B)も(C)も新興国と先進国での建築技術の違いをどのようにクリアするかっていうのが大きな問題になるけど、(A)と(C)がこの生産技術の問題さえクリアすればどうにかなるかなって思えるのに対して、(B)はそれに加えて他国の文化の本質をデザイナーがつかまなければクライアントが求めるデザインができない、という大きな問題がありますね。
フラット化する世界と多様化する建築家の職能
建築家が国境を越えて建築をつくるのが当たり前になるにつれて、その職能はますます多様になりつつあるように思います。
ざっと思いつくのは以下の5種類。
(1)国あるいは都市のキャラを発見する
(2)アイコニックな建築をつくることで、国あるいは都市の様相を変える
(3)文化と文化を異種配合する
(4)世界をフラット化しようとする
(5)アートとしての建築を売る
具体的な建築家の名前をあげるとすれば以下の通り。
(1)レム・コールハース
(2)ザハ・ハディド、フランク.O.ゲーリー
(3)隈研吾
(4)MVRDV
(5)SANAA、ヘルツォーク&ドムーロン、ピーター・ズントー
具体的な説明は次回以降で!
日本の建築空間を売り出そう!(3)
日本建築が持つ独特の”雰囲気”を売りたいのに、日本以外では作れないというジレンマ
というお題について前回は、
・日本の建築空間を(物質/使用両面で)ユニバーサルな素材で表現して売る。
と解いてみました。
今回は、別の解法を考えます。
実際このジレンマ、日本の職人さんの技術が他の国と比べて高すぎる、ということから出てくる問題なのでしょうか。
そうじゃなくて、
他国の職人さんは、日本の設計事務所が提案するディティールが実際にできているところを想像できない。
というところにあるんじゃないかと思います。
他国の職人さんには、そのディティールが拠って立つ前提がないんです。その前提というのは日本の文化そのものです。もちろん、普通のおさまりなら問題ないですよ。だけど、日本の建築空間を構成する種々のディティール、つまり、日本建築が持つ雰囲気を表現するためのディティールは日本独特に発展してきているのではないでしょうか。
それはどこの国だって同じです。みんな自国の文化の上に建築をつくってきているわけですから、それぞれディティールに対する認識が違うんです。
建築っておもしろいですよね。
だからこの問題を解決するには、以下の2つの方法があります。
(1)、日本の職人さんを現地に連れて行って現地の職人さんに技を伝授してもらう。
(2)、建物を簡易に組み立て可能で船で現地に運び込むことが可能ないくつかのパーツに分け、それぞれのパーツを日本で製作し、現地に運び込む。
この方法を採用すればで、日本の建築空間をなるべく素材感もそのままに海外で売ることが可能になりますね。
だけど(1)については、施工の段階で日本の職人さんを組み込むことが施工システム的にもお金の支払い的にも難しい。現地に進出しているゼネコンと組んで上記の問題を解決するという選択肢もありますが、そこはクライアントの意向もあるし、なかなかうまくいかないのが現実です。
(2)については現実的によく取られている方法ですが、とにかくお金がかかります。
・日本で製作し船で輸出するので、輸出代がかかる。
・現地の国の職人さんの賃金が日本比べて安い場合、賃金が高くつく。
・メンテナンスが必要になったとき、日本の職人を現地に派遣するの?
うーん、あんまりよい解決方法ではないですね。